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静岡地方裁判所浜松支部 昭和36年(ワ)145号 判決 1963年5月01日

原告 横山正巳

被告 国

訴訟代理人 河津圭一 外七名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

第一、原告が肩書地太田川々口附近において、養魚池を所有し、養鰻業を営んでいること、被告国が東京通商産業局所管の下に、磐田市中泉西新町においてアルコール製造工場を設置し、甘藷、甘蔗等を原料として、アルコールの製造事業を営んでいること、同工場が昭和三十三年八月中旬(正確な日時は暫く置き)アルコール蒸溜廃液を放流したこと、同月二十一日未明頃原告養魚池において、鰻、鰡、鯉、鮒が相当量斃死したことは、いずれも当事者間に争いがない。

第二、そこで原告養魚池における右鰻等の斃死事故が、磐田アルコール工場の廃液放流によつて発生したものであるか否かについて検討する。

一、証人加藤三郎の証言によれば、本件事故の発生した昭和三十三年当時磐田アルコール工場では、俗に黄変米と称する病変米を原料としてアルコールの製造を行つて居り、その製造工程は、先ず病変米を蒸釜に入れて二乃至三キロの圧力を加え、約三、四十分蒸煮し、次にそこで生じた蒸煮モロミを発酵槽に入れ、アミロ菌を使つて(当時は更に液体酵菌を添加して)約十日間位で発酵させ、更に発酵後約十日位経て出来た発酵モロミを、蒸溜装置にかけて加熱蒸発させ、その蒸気を冷却し、この加熱冷却を連続的に繰返し乍ら次第に純度を高め、約九十五度前後のアルコールを生成する。廃液は右の如く、発酵モロミを蒸溜装置内で連続的に加熱冷却してアルコールを生成する過程において生じるもので、アルコールを採取した後の残滓発酵モロミをいうのであり、こうして生じた廃液は、これをコンクリート堀によつて濾過池へ導入し、そこでムシロ濾しした上、ムシロに残つた物は滓として売却し、ムシロを通過した液はこれを沈澱池へ落し、同所で数日間貯留した後、山根排水路(南部排水路)へ放流していたことが認められる。

二、次に検証の結果によれば

(一)  磐田アルコール工場は磐田市中泉西新町の台地上に所在し、右濾過池及沈澱池は同工場の西側台地下に接して設置され、東西約三十米南北約百二十米の面積を有し、うち南側部分約三分の一が沈澱池北側部分約三分の二が濾過池となつていて、右沈澱池は南西部に設けられた放流口によつて、その西側をコンクリートで護岸されて南下する山根排水路へ通じ、同排水路は同工場の南戸崎橋附近において、同排水路の西側を南下する新彷僧川と合流し、更に下つて飛平松方面より東へ流れる彷僧川し合流し、彷僧川はその下流中島橋、中島新橋附近において今之浦川を受入れた上、川口において新貝、稗原方面より南下する太田川と合流して直ちに遠州灘に注ぎ、一方前川は東より流れ来つて、太田川の東岸、遠州灘を北上すること約七百米の地点において太田川と合流している(検証調書添付第一及び第二見取図参照)。

(二)  原告の養魚池は右太田川と前川との前流点北東内角部に所在、東西約二百米、南北約百二十米の範囲を、東西に通じる幅約二米の土堤で仕切られた南北二つの池(検証調書添付第四見取図12)と昭和三十七年稚魚養殖のために新たに、南側池の西方一部分を仕切つて設けられた二つの小さな池(同図面34)との計四つの池から成つており、原告養魚池の南、前川との境にはコンクリートで護岸された堤道が東西に通じ、前川西橋の東約十五米の地点(同図面イ点)に、排水口を兼ねた取入口を設けて、同所より直径一米のコンクリート製土管二本を右堤道下に埋没させ、又原告養魚池と東隣りの養魚池との間には、境界の土堤を利用して造られた巾約四米の堀状水路が南北に通じていて、同水路と原告養魚池の南側堤道との接触点(同図面ロ点)に、水門を有する二米四方の堰を設けて、同堰内に十馬力パーチカル揚水ポンプを備え付け、更に北側の池の東南内角部(同図面ハ点)にも同様水門を有する堰を設け、同堰から前記堀状水路に至る間に排水溝が通じている。而して原告養魚池用水の採水及び排水は、総て同池の南を流れる前川を利用して行われ、揚水ポンプによつて取入口(同図面イ点)から汲上げられた川水は、南側養魚池の水門(同図面ロ点)を通つて同池に導入され、更に同池の西端部(同図面ニ点)において北側養魚池との池水の交流が行われ、排水は北側養魚池の水門(前記ハ点)の開閉により、前記排水溝、堀状水路を経て、南側養魚池の水門(前記ロ点)、排水口(前記イ点)より前川へ排水される仕組になつていることが認められる。

三、ところで鑑定人久保赳の鑑定結果によると、同鑑定人が昭和三十七年八月四日午前九時頃、本件事故発生当時と略々同一の境界条件の下に、硫安を用いた人工廃液を山根排水路に放流を開始し、同月七日午前八時頃迄の間、同廃液が太田川々口に到達する迄の所要時間、前川への流入の有無、程度等を観測した結果、同廃液は放流開始より約十五時間で太田川々口部に到達し、約三十四時間で完全に遠州灘へ排出され、前川において廃液の影響が認められるのは、放流開始後約二十時間前後の二時間程度であることが判明し、本件事故当時の廃液滞留時間も、略々上記数値と同一に考えてよいことが認められる。

他方、成立に争いのない乙第十一号証証人荒井猛及び前掲加藤証人の各供述によれば、磐田アルコール工場では、アルコール廃液な昭和二十九年頃よりこれを前記沈澱池に約一週間乃至十日間位貯留した上放留することとし、午前中より放流を開始継続して一日を以てこれを完了していたこと、本件事故発生時に最も近接した廃液放流の日時は昭和三十三年八月十七日午前十時から午後四時四十分迄の六時間四十分であつたことが認められる。従つて右事実と前掲鑑定の結果とを綜合して考えると、アルコール蒸溜廃液と硫安溶液の比重の差、人工廃液と本件廃液の性質の差、潮の干満の差を考慮しても同日放流した廃液が前川に流入するのは同月十八日午前六時前後の数時間と解すべきところ、証人大久保九一の証言によれば、原告養魚池では磐田アルコール工場が廃液の放流を開始した同月十六日頃から、鰻等の斃死した同月二十一日迄の間、殆んど連日前川からの採水を行つていた事実が認められるから、同工場の放流廃液が原告養魚池に汲入れられた可能性は一応これを肯定し得る。

四、そこで、アルコール蒸溜廃液の魚類の生存に及ばす影響について検討して見るに

(一)  成立に争いのない乙第一号証と証人小野英男の証言によれば、(1) 同証人が磐田アルコール工場の委嘱に基き、昭和三十三年九月頃病変米を原料とした同工場のアルコール蒸溜廃液を、蒸溜直後のものと濾過後約十日位貯蔵したものについて、その有害成分の比較分析調査を行つたところ、灰分を除き酸度(P・H。7が中性、7未満は酸性、7を超えるものはアルカリ性を表わす)、蒸発残漆、有機物、全窒素、生物化学的酸素要求量(B・O・D。アルコール廃液中の有機物が水中において、微生物によつて分解する時に要求し消費する酸素量をいい、P・P・M即ち百万分の一単位を以て現わす。)等すべて蒸溜直後の方が幾分廃液の不純度が高い結果が得られたことが認められ、右実験の結果について同証人は、廃液中最も問題となるのは、有機物と生物化学的酸素要求量との関係であり、廃液中の有機物含有量が多くなればなる程、生物化学的酸素要求量も比例的に増大し、その結果、水中の溶存酸素がそれだけ奪い取られることとなつて酸素欠乏を生じ魚類や海藻その他の生物が斃死し、或は育たなくなるという事態を招来すること、又右実験の結果を基に磐田アルコール工場が仮に一日二百屯の蒸溜廃液を放流すると仮定した場合、同放流によつて排出される有機物従つて生物化学的酸素要求量は、濾過後十日位貯蔵したものについては約四万人の人口が排出する屎尿、台所汚水の総量に匹敵し、蒸溜直後のものについては約六万人分に相当するから可成りの汚染度を生ずることとなる旨述べている。(2) 更に又同証人が後に生甘藷、糖密を原料としたアルコール蒸溜廃液について、有害成分の分析調査を行つたところ、生甘藷の場合は、窒素量を除いて病変米の場合と概ね変らず、唯糖密の場合が病変米と比較して特に有機物約二倍、生物化学的酸素要求量約二倍以上という結果が得られたことが認められる。

(二)  次に原本の存在並びに成立につき争いのない甲第一号証と証人野口博の証言(第二回)によれば静岡県水産試験場浜名湖分場が福田町の依頼に基いて昭和三十三年九月頃、磐田アルコール工場廃液の上澄液、瀑気液を基に、五立宛の実験液を作り、右実験液の入つた各水槽内に平均体重五・〇瓦の鰻を三尾宛入れて、摂氏二十乃至二十七度の水温下において廃液の毒性検査を行つたところ過マンガン酸カリ投入液、上澄液、瀑気液をそれぞれ五十倍、百倍に各稀釈したものについては、何れも二十四時間内に鰻が全部斃死し、過マンガン酸カリ投入液、上澄液をそれぞれ五百倍に稀釈したものについては実験を中止した四十八時間を経過した頃迄依然生存していたという結果が得られたことが認められ、而して右実験の結果について同証人は、廃液中には有機物質が存在し、それが水中の酸素を吸収して分解することがあるため、酸素不足を来し、鰻が斃死するものと考えられる旨述べている。

(三)  更に成立に争いのない乙第八号証によれば、静岡県水産試験場本場が昭和三十七年三月九日供試生物としてアユ(平均体重〇、九瓦)、鰻(同一二、二瓦)鯉(同三、六瓦)を用い、アユについては濃度〇、一〇乃至二、〇〇パーセント、鰻、鯉については濃度〇、五〇乃至四、〇〇パーセント、水温いずれも摂氏六、四乃至一三、八度の下に、糖密を原料としたアルコール廃液の致死濃度の測定試験を行つたところ、アユについて二、〇〇パーセント区で斃死が見られたのみで、鰻、鯉については致死濃度に至らず、同じく糖密を原料としたアルコール蒸溜廃液に消化液を用いて、摂氏二十一度以上の比較的高水温下で致死濃度を測定した結果、一乃至一、三三パーセント区以上の濃度において、鰻、鯉が斃死した前回実験とは異なつた結果が得られたが、同試験場では、これらの結果と試験中の魚の行動観察及び水中の溶存酸素量の消費状況に基き、アルコール蒸溜廃液の或一定濃度に於て起つた魚類の斃死は高水温時での酸素欠乏による鼻上げ窒息死と考えられる旨の中間報告を行つていることが認められる。

(四)  以上の事実に基けば、病変米を原料としたアルコール蒸溜廃液は糖密を原料としたものよりも、有害成分の度合が低下し、また蒸溜直後のものと濾過後十日位貯留したものとで、多少の差が見られるけれども、魚類の生存に対して有害であることには変りがなく、その主たる原因は同廃液中の有機物質が水中において、微生物によつて分解する時に酸素を費消し、その結果水中の溶存酸素が欠乏することに在ることが認められる。

然し乍ら反面、右一連の実験において使用した廃液の濃度は最高稀釈倍数五百倍が限度であつて、而も鰻、鯉等が斃死したのは、稀釈倍数五十乃至百倍の比較的濃度の高い実験液のみに止まり、五百倍に稀釈した実験液では、斃死の結果が得られなかつたことが明らかであるところ、前掲久保鑑定人の鑑定結果によれば、同鑑定人の施行した調査において、人工廃液の最高濃度に対する稀釈倍数は、太田川々口において約六百五十倍、前川において約二千五百倍程度であつたことが認められ、その上検証の結果からも明らかな如く、原告の養魚池は南北約百二十米に及ぶ面積を有するところから、廃液の混入した川水が右養魚池に汲入れられた場合、その稀釈度は更に一層倍加することが当然推測される。して見ると廃液が二千五百倍或はそれ以上に稀釈された場合においても、尚且つ前示の如き作用によつて、魚類の棲息に対し有害であるか否かは、右実験の結果からは自ら消極に解する外はない。

五、尤も前叙の如く、磐田アルコール工場の廃液が前川に混入し、且つその混入した川水が原告養魚池に汲入れた可能性は一応これを認めうるのであるから、本件事故の原因として証拠上右廃液以外に他の可能性を全然考える余地がないとすれば、右廃液と本件事故との因果関係を推定することも強ち不自然ではないと解されるので、この点につき更に検討を加える。

(一)  証人金指嘉一、同横山敏雄(第一回)、同横山光郎の各証言によれば、養鰻業者は屡々水変り或は鼻上げと称する事故によつて大量の鰻を斃死させることがあり、この種の事故は梅雨季や夏季に頻発し小さなもので年に三、四回、大きなものは三年に一回で、被害は時に千数百貫に及ぶこともあり、同業者の中には昭和三十六年頃水変りによつて、千乃至千五百貫程度の鰻を斃死させた例があることが認められ、またこの点に付き前掲野口博の証言(第一回)によれば

(1)  水の色が白、茶、青等に変化する現象を俗に水変りと呼んで居りその原因については定説はないが、一応水中の植物性プランクトン(青粉)が斃死するためであると考えられること、植物性プランクトンは動物性プランクトン及び植物性プランクトン自身の異常繁殖、肥料不足による外、塩水による水質の変化が原因で斃死することがあること、植物性プランクトンは水中の酸素補給に重要な役割を演じ、通常水中の酸素補給は、池面の大気との接触を通じて行われるが、それ以上に植物性プランクトンの炭酸同化作用による酸素補給の方が多く、従つて植物性プランクトンが斃死すれば、その同化作用による酸素補給の途が杜絶することとなり、その上植物性プランクトン自身斃死する過程において、有機物質の分解により酸素を吸収する外、鰻や動物性プランクトン等も酸素を消費するため、水中の溶存酸素が欠乏して事故が発生すること、更に水変りはその前兆によりこれを予見し得る場合もあるが時には急激に発生して予見不可能な場合もあり、概して気候の変り目に発生し易く、特に梅雨季などの天候不順の折には、水質が不安定で天候や水温の変化が著しいために、水変りもこの頃に多く発生することが認められ、

(2)  一方鼻上げは、水中の酸素欠乏に伴い、魚類が水面に鼻孔を出して空気中の酸素を呼吸する現象を指象し、これは必しも水変りとは関係なく、酸素欠乏によつて生ずること、水中の溶存酸素量の一日に於ける変化は午後三時から四、五時頃が最高に達し、夜明前に至つて最低となり、又植物性プランクトンが同化作用を営むのは日中に限られ、夜間は逆に呼吸作用のみを行つて、自ら補給した酸素を消費するため、鼻上げもこの時刻に最も起り易く、その前兆は前夜十時乃至十二時頃に現われるので、養鰻業者は夜間池廻りをしてその徴候を確認し、水の入換えを行うこと、更に溶存酸素量は気温や気圧とも密接な関係があり、気温の高い時、気圧の低い時には酸素が水に溶け難いため、夏季等の高水温時には酸素不足を生じ勝ちで、事故の原因となり易いことが認められる。

(二)  更に右野口博の証言(第一及び第二回)によれば、鰻等の斃死する原因としては、その外に水性菌病(水カビ)、ヒレアカ病、細性菌病(腸マン)、寄生虫(イカリ虫)等の病気が挙げられること、このうちイカリ虫は通常塩分の少い川水の中に浮遊していてこの川水を汲入れる際に養魚池へ流入するのがその主たる伝染径路であり、時には既に養魚池に存在しているイカリ虫が繁殖して伝播することもあること、又イカリ虫は成虫で六ミリ位の大きさに達し、鰻等の口内に鍵状に食込んで寄生し、口を開いた場合肉眼でも二、三ミリの部分迄見えること、口内に寄生するイカリ虫は総てが雌で、この雌の成虫は毎年四月中頃から産卵を始め、その卵が孵化繁殖して六月乃至八月頃には最高に達し、幼虫は孵化後十五日乃至二十日位迄は、鰻に寄生することなく、プランクトン様状で水中に浮遊し、その後は鰻の皮膚の表面を移動し乍ら寄生すること、イカリ虫に対する対策としては、最近は専ら農薬による駆除が行われているが、昭和三十三年当時は三日乃至一週間に亘つて連続的に、海水を養魚池へ汲入れ、或は養魚池より鰻を取上げて海水中に漬ける等の方法で塩素消毒を行つていたこと、既に口内に寄生する迄に至つた成虫に対しては、海水による駆除は比較的困難であるが、前示の如くプランクトン様状に浮遊している段階乃至は孵化後一定期間を経た移動寄生期の幼虫に対し、千分の六クロル程度の海水(海水の濃度は遠州灘沿岸では普通千分の十五、六クロル、水産試験場浜名湖分場附近で千分の十二、三クロル前後)を用いると効果的であること、イカリ虫の被害は鰻の口内に寄生して血液を汲収する上に、更に鰻をして口の開閉を困難ならしめ、食餌や酸素呼吸を不可能にして衰弱させるに至り、時には鰻の鰓の部分が切断することがあること、イカリ虫の寄生自体による事故は毎日少量宛の鰻が衰弱死して行く程度で一時に大量の鰻が斃死することは考えられないが、然しイカリ虫の対策として前示の如き海水による駆除方法を講じた場合、その為に却つて急激な水質の変化をら齎し、一時に大量の鰻を斃死させる危険性が存すること、即ち、塩水は多量の硫酸根を含有しているため、それが養魚池に混入すると、魚糞や餌等池底の有機物質が分解し、その際硫酸根と結合して硫化水素が発生して事故を惹起することがある上に、海水は塩分の濃度が安定していないために、水中の植物性プランクトンを斃死させ、水変りを招来することがあること、従つてイカリ虫駆除の方法として海水を利用する場合には、業者は常に真水に切替える適切な時機を会得していることが肝要で、そのためには可成りの技術と経験を必要とすること等が認められる。

(三)  ところで成立に争いのない乙第九及び十三号証、証人下岡一満、同大久保九一の各証言によると、本件事故当時原告養魚池における日中の水温は摂氏三十度前後に達する状況であつたため、前示の如く昭和三十三年八月十六日頃より、連日パーチカル揚水ポンプによつて、前川からの採水を行つていたこと、而も当時原告養魚池の鰻等にはイカリ虫が寄生してしいたところから、これを駆除するために昼夜共可成りの海水を汲入れていたこと、事故発生後原告方では、大量の養魚を一時に斃死させたことに付き、業者としての外聞を恥じ、養魚池並びに斃死魚について原因調査を行うことなく、匆々に屍魚を廃棄処分に付してしまつたこと、原告養魚池では従前より前川を唯一の採水源として来たにも拘らず、それ迄に一度もアルコール廃液の影響と目すべき事故に遭遇しなかつたこと等の事実が認められる。

して見るとこれらの事実に基けば、寧ろ長時間に亘る海水の混入により養魚池の水質に急激な変化をもたらし、そのために一時に大量の鰻等を斃死せしめるに至つたのではないかとの疑いが相当に濃厚である。

六、思うに本件訴は事故発生三年後に提起せられ然かも事故発生当時原告養魚池の水質、屍魚等について、厳密な科学的分析調査が行われていないため、本件事故が果して如何なる原因に基いて発生したものであるか、これを詳らかにする資料は全く存しない。

従つて磐田アルコール工場の放流に係る廃液との結びつきも、単なる証拠上の可能性の度合によつて判断する外はないところ、叙上認定各事実に基いて考察すれば右廃液の前川への流入及び原告養魚池への混入の可能性は兎も角として、その濃度が二千五百倍以上に稀釈された場合における魚類の棲息に対する害悪の点に付いては積極的にも消極的にも之を有害であると断ずべき証拠なく仮に有害であるとしても斯の如く稀釈された廃液が二時間前後汲入れられその後異状なく除々に浮魚を生じたに非して四日後に一時に大量の鰻等が繁死した本件の如き場合右廃液混入が直接原因であるとは経験則上容易に考え難く却つてイカリ虫駆除の為一週間に亘つて海水を汲入れた原因による水質の変化の公算が極めて強く、結局本訴請求は因果関係の点に付さ証明不充分という外はない。

然し乍ら翻えつて、磐田アルコール工場において、アルコール製造過程中に生ずる廃液が兎も角も或一定濃度においては、前示の如き機能により、魚類の棲息に害悪をもたらすものであることは明らかであり、これを公の河川に放流して廃棄処分を行う以上、適切な設備措置を講じて、完全に無害のものとなし、以て社会に対し無用の不安を与えない様特別の配慮をなすべき筈であるところ、前掲小野英雄の証言によれば、同工場では現在でこそ、廃液処理の方法として、メタン発酵装置、活性汚泥法等一連の方法を用い、廃液中最も問題とされる有機物、生物化学的酸素要求量等の有害成分の排除に相当の効果を挙げているが、当時は斯かる設備もない侭、漫然一定期間貯留した上放流処理していた状態で、凡そ操業の過程において有害物を排出する事業の経営に携る被告国としては、河川汚濁がしきりに云々されている折柄法律上の責任は兎も角、社会的非難の対象ともならざる様一入心すべきことであろう。

第三、以上の如く原告の本訴請求は、畢竟証明不充分に帰着し失当であるので、これを棄却することとし、訴訟費用の点は民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小野沢竜雄 片桐英才 藤浦照生)

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